映画コラムの達人・てっちゃんが見事に描いてくれました。

MOSSII2006-11-22


こんな映画があるのは知っていた。
雑誌でコラムを読んで見てみたいなと思ってた。
だけど観る機会はなく知らない間にいつか忘れてゆく。
いつだってこんなことの繰り返しだ。
製作されながら公開されない映画も不幸だけれど、
公開されながらも、地方に住んでるぼくらの所に届かない映画も不幸だ。


「いつか読書をする日」
2004年に公開されたこの映画もそうだ。
公開された頃に気になりながらいつの間にか忘却の彼方へ。
観ていないのだから心に残りようもなく、
観ていないのだから大好きな人に語りようもない。
そんな不幸な映画に、2年遅れで幸運な出会いが訪れた。


この街で公開されない映画を観たい。
そんな思いが、お城の見える場所で光を浴びた。
柔らかな陽射しを遮光幕で閉じると
ホテルのバンケットルームは映画館に姿を変えた。
剥き出しの35ミリ映写機が元気すぎる音を立てて廻り始めると、
2年の間にたくさんの街を巡りかすかなスリ傷をまとったフィルムが
「さあ観てくれよ」と声を上げる。


この映画の事を知ったのがずいぶん前で良かった。
何の予備知識なく観た「川のほとりの物語」は、
事前にジャンルでくくる事なくぼくの気持ちに沿って震える。


本の好きな少女が長じて本を伴侶に生きている。
実直な公務員が病弱な妻を看病している。
繋がりそうもないふたつの風景が、
30年以上前の風景を絵筆でなぞると淡い色彩で重なり合う。
泣きなさいと叫ばない。
笑いなさいとくすぐらない。
ただ静かにふたりの風景を切り取るカメラは坂道を吹く風のようだ。
その風に吹かれて彷徨うのが長い時間をかけた恋の物語。
哀しくてそれでも幸せな一瞬のためにかける時間が切ない。


優れた短編小説を読むような風情が嬉しい午後のひと時だった。


さて次回のモンティグレシネマサロンは来年1月22日。
「カーテンコール」で会えるという。